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2011年8月16日火曜日

22  LAで阿波踊り

 久々に締め切りに追われる事態となり、更新が途絶えていました。失礼致しました。

さて、13日から全米最大の日系人イベント「ニセイ(2世)ウィーク」がロサンゼルスのダウンタウンで始まった。

 前々日、イベントのホームページ(http://www.niseiweek.org)をみているうち、その中に「阿波踊り」を発見。以前から徳島県人会の人に参加するよう誘われていたことを思い出し、「同じ行くなら、踊りゃにゃ損々」と、早速電話し、阿波踊りのパレードに参加させてもらうことにした。昨年、徳島で著名な踊りグループ「葵連」に数ヶ月間加えてもらい、毎週練習に行っていたので、「ひょっとして出番があるかも」と思って、浴衣や地下足袋、専用のズボンなどを持ってきていたのだった。 

 そして当日、グループ「阿波踊り」から集合場所として、指定されたのは、リトルトーキョーにあるその名も「小東京交番」。実態は、ロサンゼルス市警の詰め所兼日本語の話せるボランティアが常駐する案内所だそうだが、その奥にある20畳弱の控え室で、浴衣(結局、みんなと同じものを着ることになった)や帯、鉢巻など揃いのものを貸してもらい、元徳島県人会の会長さんたちに着付けてもらうことになった。
 
 踊り子約30人の大半は日本生まれと思しき日本人(日本語によどみがなかった)だったが、中には数人の米国人も。特に、米国人の方が踊りにかける思いが熱い。暇さえあれば、熱心に練習していたから、一年ぶりに踊ることになった私は刺激を受け、その場で練習を始めたところ、青い目をしたその仲間から「手はこうやって」「腰はもっと落とさないと」と指導を受けるはめになり、「実は徳島から来たんです」と告白して二人で笑い転げてしまった。
 
 さて、リトルトーキョーにはすぐそばに「全米日系人博物館」があり、その裏に舞台が設営されていて、さまざまな日本の催しが紹介されていたが、グループ「阿波踊り」は、午後3時過ぎから、来場者を前にステージで10分程度、デモンストレーションすることになった(私は出なかった)。もともと日本に関心がある人がこのイベントを見に来ているというのもあるが、終盤、司会進行役のメイさんが来場者に総踊りを呼びかけると、客席の人たちの多くは続々とステージ上や周辺へやってきて、独特のメロディー「よしこの」にあわせ、ぎこちないながら、楽しそうに手を挙げ、足を繰り出すのだった。その様は、徳島市内の観光施設「阿波おどり会館」で見かける県外者の楽しみようと同じで、やはり阿波踊りは国境を越え、踊りの魅力は伝わるらしい。

 そのステージも終わり、一息つくと、今度は歩いて5分程度の日本料理屋などが集まる「ホンダプラザ」に移動。ここを起点に、この日のメーンイベントであるパレードが始まった。 

スタイルとしては、本場のような三味線や太鼓、鉦を演奏する部隊はなく、代わりにスピーカーから録音した独特のお囃子「よしこの」が流れ、ひたすら官庁街の一画を約1時間かけて一周するスタイルだった。「1時間踊り続ける」と最初に聞いたときは、正直腰や足が持つか不安だったが、前のグループが詰まるので、頻繁に踊りは止まり、休憩になった上、通りが広く長いので、沿道の顔ははっきり見えず、緊張せずに済んだ。

 踊り自体は、徳島でも踊りグループ「連」によって踊り方が全く異なるが、このグループの踊り方は「葵連」で教わったのとほぼ同じで、踊り出しだけ、左右に斜め45度の角度で3歩進んでから正面に向かって歩き出す、というのが違うだけだった。
 
 パレードは阿波踊り以外にも、日本の各種祭りや伝統えを紹介しており、沿道には日の高いうちから椅子を並べて場所取りしている高齢の日系人もいて、パレードへの関心が伺えた。

 そのパレードで踊り終えたのは、夜もとっぷり暮れた8時半ごろ。帰ろうとしたら、今度は全米日系人博物館前の広場で、即席の阿波踊りが始まった。パレードのとき、私たちグループの前を歩いていた福岡県人会の「小倉祇園太鼓」のメンバーが阿波踊りの「よしこの」を演奏してくれることになり、阿波踊りのメンバーはもちろん、福岡県人会の人や米国人などがみんなで輪になって、イベントの終わりを惜しむように、いつまでも踊り続けていた。 
 
 ロサンゼルスの夏は最高気温が25度前後。この日の夜も暑くはなかったが、熱気のこもった熱い夜だった。
パレードは踊っていて写せなかったのでステージ版

2011年7月2日土曜日

減量もまた楽し

 「熊のような体型の日本人が行きますから」。インタビューで見知らぬ人と待ち合わせをするときは、必ずそう言って自己紹介して おく。カフェなどで待ち合わせをしたとき、すぐに見つけてもらうためだ。しかし、実際、彼らに会ってみると、何人かから「何で熊って言うんですか。そんなに太ってないのに」と本気で不思議がられた。

お世辞と思うこと なかれ。私を知る人なら、驚くかもしれないが、こちらでは私は「(大)熊」ではないのだ。確かに、車がないので毎日結構歩いているから、こちらに来て、少しはやせた。しかし、非常にやせたわけではない。それでも、ロサンゼルスの「熊」は日本で言うなら「鯨」なのであった。

 皆とにかくよく食べる。日本人の優に倍だ。それも高カロリーのものを。それで太らないはずがない。一方で、何でそんなに細いのか、と思う人もいて、学内の食堂でスレンダーな女性を見つけたら、少し観察することにした。すると、彼女らは量こそ洗面器くらいだが、サラダや果物ばかり食べているのに気がついた。

 そんな若い娘たちに張り合うつもりは毛頭ない。ないが、彼女たちと同様の食生活を体験して標準体重を手に入れてみたくなり、炭水化物を控え、努めて野菜と果物を摂取することにした。日本で数年前はやった炭水化物ダイエットもどきである。

しかし残酷にも、この国はまた、炭水化物大国でもあった。ハンバーガーにパスタ、ピザにSushi(寿司ですね。こちらではかなり一般的)。こうした炭水化物を取らなくなると、一気に食べるものがなくなった。学内では、選ぶ のに困るほど野菜が並んだサラダバーを発見したため、ランチはそこでしのぐことができる。しかし、学外へ出た瞬間、食べられるものが激減し、途方に暮れる ことも度々だ(ハリウッドボウルでどら焼きを食べたのは久しぶり)。

 しかし、新たな出会いもあった。先日、研究のためコリアタウンにあるフィリピン領事館へ行った帰り、すぐ近くで女性たちが目 を輝かしているフルーツスタンドを見つけた。時、折しもお昼時。これまでなら、昼ごはんといえば肉や魚が中心で、果物尽くしには目もくれなかったが、いま 食べられるのは野菜と果物しかない。そこで、スタンドの前で、果物をぶつ切りにしているお姉さんを珍しそうに見ていたら、いろいろ説明してくれた女性客が 私の分をこっそり払って立ち去っていた。それも私に分からないようにスペイン語でオーダーして。何ておしゃれな人だろう。ちなみに、リンゴが丸々3つくらい入りそうな小型容器サイズで4ドル、6つくらいなら5ドルだった。

そのフルーツボウルは、目の前で切られたパパイヤやスイカ、オレンジなど10種類のてんこもりだったが、客を見ていると、味付けに、ライムの絞り汁に加え、塩やチリパウダー(唐辛子)をまぶしている。甘さと酸っぱさのコンビネーションは分かる。スイカの甘さを引き出すための塩もまぁ、よしとしよう。しかし、チリは・・・。かなりミスマッチな予感 がしたものの、郷に入れば郷に従え。ここはチリ好きのヒスパニックが多いロサンゼルスだもの。

しかし、というかやはりというか、おそるおそる食べたその一口は、甘さと酸っぱさと塩っぱさの全てがチリパウダーに支配された非常に不思議な味だった(注:私は辛いのが苦手。辛いもの好き、ないしはチリを食べ慣れている人にはおいしい一品かも)。

食生活を変えていなかったら、まずは出会わなかったクールな女性の振る舞いや不思議な味付け。ほかにも「五訂日本食品標準成分表」や乾燥果物、煮干のおやつ・・・。通りすぎていた世界で立ち止まれば、知らない世界も見えてくる。生きがいだった「食」の楽しみが遠のいたのはあまりに痛いが、代わりに別の楽しみを探検することにしよう。

かくして、「(大?小?)熊のスリム化プロジェクト」は続く(はず)。

            お昼時、女性客の列ができるフルーツスタンド

         果物の上にかかったチリ。容器の厚みがかなりあった