2011年6月30日木曜日

13 もう少し泣かせて

 今年の春は、研究室で、路上で、そしてバスの車内で、何度も泣きそうになった。言うまでもない。東日本大震災のためだ。だから、人のいるところでは、震災報道のインターネットサイトや新聞は開かないようにしていたほど。

 研修先のサクラメント近郊で3月11日を迎え、その2日後、ロサンゼルスに到着した。20日にロサンゼルスマラソンで給水ボランティアをすることになったが、ランナーの中には日の丸に「日本頑張れ」と書いて走る日本人のほか、欧米系の人の胸にも日の丸に激励のメッセージが。その数も1人や2人ではない。日の丸の是非は別にして、そのメッセージを見るたび、「ありがとう」と叫びながら、何度も胸が熱くなった。

 4月にはバスに乗っていたら、遠方で大型広告に「Pray For Japan」と書かれたメッセージを見つけた。店の宣伝だろうが、CDの広告だろうが、構わなかった。近所のショッピングモールでも同様のメッセージボードを見かけて、またまた心の中で手を合わせながら、涙腺は緩みそうになるのだった。

 そして前回紹介した今月26日のハリウッドボウル。会場では日本の文化紹介があり、七夕用の笹が飾ってあった。「ガンバレ 日本!」「早く日本が復興しますように」「日本復興」と書かれた短冊が風に揺れ、一緒に行ったインドネシア人の友達が不思議そうに見ていたので、「日本では、短冊に願いを込め、七夕に吊るすんだよ。だから、今年はきっと多くの日本人が短冊に・・・」と言いかけて、途中でやめた。振り返ったら、ボトッと涙が落ちそうだったから。

 こんなに涙もろかったっけ、と思うほど、春以降よく泣きそうになったのに、「短冊落涙ギリギリ事件」でふと、泣きかけたのが久しぶりだったことに気づいた。震災から3カ月が過ぎ、ロサンゼルスの街はカリフォルニアの空気のように、震災日本を気遣う空気も乾いてきている。関連の報道もめっきり減った感じ。私にしてみれば、社会の根底を揺るがしかねない大災害だが、こちらの人には、ハイチやニュージランドなど世界各地で発生している大災害の一つであって、それがたまたま友好国で起きたという感じなのだろうか。他の大災害が発生したとき、こちらにいなかったので、比較できないのだけれど。

 人前で泣かされかけるのはたまらないが、まだもう少し、ジーンとさせてくれませんか。ロサンゼルスの街よ。

*うかつにも、12回目でいきなり回数を入れるのを忘れていました。というわけで、今回は13回

                 ハリウッドボウルに飾られていた短冊                 

2011年6月28日火曜日

ハリウッドボウルへ行ってみた

 ハリウッドには野外音楽堂「ハリウッドボウル」というのがある。夏を中心に数々のイベントが開かれる巨大施設で、ウィキペデイアによれば座席数17,376席。これまで、ビートルズなど著名アーティストのコンサートやミュージカルが催され、一度見てみたいと思っていた。26日夜、日本づくしのイベント「ビッグ・イン・ジャパン」に、坂本龍一ら「YMO」がやってくると聞き、出かけてみることにした。

野外ということもあってか、観客は勝手に食べ物を持ち込んでピクニック気分。あまりに大きいので、大型スクリーン4台で大写しにされたアーティストを見ながら、みんなワイングラスを傾け、サンドイッチなどをつまんでいた。私も、友達と日系スーパーで買ったどら焼きをほおばりながら、日本に浸ることにした。

午後7時、太鼓の演奏で幕は開け、ニューヨークを拠点に活動していた音楽ユニットのチボ・マットや女性ロックバンドのバッフォロー・ドーターそして歌舞伎グループなどが次々と現れた。ノリのいい曲が流れると、現地の若者はいきなり立って踊りだす。私が座っていた長いすも、誰かが拍子を取っていたから、座席が終始揺れていた。

お目当てのYMOは午後9時に登場。ステージ上部に時折桜や梅の映像が光線で映し出される中、ほとんどあいさつすることもなく、淡々と演奏を続けた。失礼ながら、YMOについて知っているのは「テクノポリス」と「ライディーン」くらいだったので、「ライディーン、ライディーン」と心の中でつぶやき続けたがなかなか演奏されず、しびれをきらしかけていたら、ようやく、最後の最後になって出てきた。

至るところから歓声が上がり、アメリカでも人気の高さが伺えた。たまたま隣に座っていたアメリカ人青年は「もう、サカモは何てクールなんだい」と心酔している様子。私の周囲でカメラを構える人たちが一段と増えた。座った席はほぼ正面だったが、かなり後ろに座っていたので、大型スクリーンを通さなければ、「教授」(坂本龍一)は米粒くらいにしか見えないのだが。

「ライディーン」の演奏が終わり、それまでほとんど言葉を発しなかった「世界のサカモト」が、ようやく口を開いた。「今日はスペシャルゲストをお招きしました」。その紹介に合わせ、姿を見せたのはオノ・ヨーコだった。

白い帽子と黒いパンツスーツを着た彼女は、登場するや、東日本大震災の被災者支援を熱く語りかけ、直後に身もだえしながら言葉にならない“音”のパフォーマンスを披露した。日本救済活動の一環で彼女が登場しているのだから、演出に日本への思いが練り込まれてはいるはずだが、残念ながら、私にはパフォーマンスと彼女の意図はつながらなかった。声援を送る声が多かったが、中には失笑すら聞こえてきたほど。ただ、それでも、彼女が必死に何かを訴えようとしているのだけは伝わった。彼女はその“1曲”を歌うためだけに現われたのだった。

YMOも歌舞伎も太鼓もよかったが、たった一つの思いを伝えるために遠路はるばる駆けつける人がいて(オノ・ヨーコはニューヨーク在住)、その人に貴重な場を提供するのもハリウッドボウルなのだった。

午後1020分ごろ、YMOがビートルズの「Hello, goodbye」を演奏し、スクリーンがオノ・ヨーコの動きをフォーカスし続けながら、イベントは終了した。

ちなみに、twitter「語録+坂本龍一+YMO」によると、この日YMOが演奏したのは、ファイアークラッカー、behind the mask、京城音楽、体操、Tibetan dance、千のナイフ、東風、ライディーン、Hello, goodbyeなど13曲とか。感触としては、もっと多かった気がするのだけれど。この「つぶやき」によると、この日の映像は後日NHKでも放送されるらしい。


舞台前面左端が「教授」。スクリーンで大写しされている

2011年6月26日日曜日

11 研究室紹介の巻


 少し前に下宿を紹介したので、今回は研究環境を紹介。

 大学や学部によって客員研究員の待遇は大きく異なるが、私の場合、スポンサーになってくれた学部の教授がかなり便宜をはかってくれたため、専用の研究室や名刺、メールボックスのほか、教員専用のラウンジを使う特典ももらった。

名刺はいくつか好きなデザインの中から選べ、250枚(25ドルの有料)単位で注文する。表は日本の名刺とさして変わらないが、裏は大学カラーの水色地に大学の紋章が入っており、一枚の紙の厚みは日本より少し厚め。

研究室は6階建ての5階にある。部屋の窓からハリウッド方面が見えるものの、有名な「HOLLYWOOD」の看板は見えない。眺めがいいとは言えないが、カリフォルニアの青い空が広がっているので、物を考えるときには、結構窓から空を見上げている。

広さは6畳くらいだろうか。同じく客員研究員のフランス人ポールさんと共有し、2人の机のほか、本棚と大型資料ケースがある。しかし、2人とも資料はもっぱらインターネットで読んでいるので、本棚の本はなかなか増える気配がない。

室内に電話器があったが、不通だったので、到着後回線を開いてもらうよう事務にお願いしたところ、数週間して忘れたころ開通した。ただ、インタビュー先とのやりとりはほとんどメールで、有線の電話をほとんど使っていなかったところ、5月に電話しようとしたらまた不通になっていた。別に不便もなく、電話は今も切れたまま。時折携帯電話で話しをしている。ちなみに米国の携帯電話はかかってきた方も支払う仕組み。

インタビューなど用事がなければ、研究室に来る日は大体午前10時くらい。午後6時前後に家やスポーツジムに向かう。授業のない日は家にいてもいいけれど、家ではゴロゴロする可能性が大なのでかなりまめに通っていて、学生のころより大学に来ている感覚だ。

私の学部の場合、研究者の多くは授業がなければ大学に来ない人が多いので、ポールさんと私は、毎日校舎を掃除しているフィリピン系の女性に顔を覚えられ、話をするまでになった。

*突然ですが、以降はタイトルの横に初回からの通し番号をふります

研究室の机。この左側に本棚、背後にポールさんの机がある

2011年6月24日金曜日

泣きたくなった

 語学研修で訪れたUCデービス校の図書館は、新聞棚から随分定期購読紙が消えていた。

 かつて購読されていた新聞社のスペースだけが残り、購読中の新聞が虫食い状態で並ぶ。米国では日本以上にインターネット攻勢で新聞社の弱体化が進み、看板を下ろす社が続出。それに大学を運営するカリフォルニア州の財政難が追い討ちをかけ、今回のような“虫食い”の新聞棚が生まれた。

 東日本大震災の翌日、ロサンゼルスに引っ越したので、とにかく邦字紙が読みたくて、UCLAの最もメジャーな図書館へ駆け込んだが、置いているのは米国の数紙だけ。海外の新聞なんて夢のまた夢だった(東アジア研究専門の図書館が朝日新聞をとっているのに後で気づいた)。
 
全米第4位の発行部数を誇るロサンゼルス・タイムズ社を見学する機会があり、興味津々ででかけてみたが、今度は虫食いの机が目に付き、泣きたくなった。2008年に親会社のトリビューンが経営破綻し、1割以上のスタッフが解雇されて机だけが残った。

 帰宅後、ロサンゼルス・タイムズを購読することにしてインターネットで契約したところ、半年で税込み71.76ドル。一ヶ月で割れば、12ドルにも満たない。契約の仕方次第ではさらに安くなってしまう。しかし、これで、どうやって新聞社を経営していけるというのだろう。

 新聞社で育てられ、今ここにいる私は新聞への愛着がひとしおだ。どこの国のどこの新聞社であれ、次のビジネスモデルが見つかるまで、少しでも長く少しでも多く、命をつなげられるよう、祈る思いで日々、新聞をめくっている。

最も活気があった部署。右上の人だかりは見学者

使われていない机が並ぶ一画

家庭面用か社内に調理室があった

2011年6月22日水曜日

偉大なる「父の日」

 先週の日曜日、週に一度のガムラン教室に通おうと、バスでコリアンタウンへ向かっていたら、突然、車窓に人だかりが飛び込んできた。場所はビバリーヒルズでもブランド街で名高いロデオドライブ。映画撮影の見学にしては列が長すぎる。気になってバスを降りると、クラシックカー・ショー「ザ・ロデオドライブ・コンコース・デ・エレガンス」だった。

米国もこの19日が「父の日」(「母の日」も日本と同じだった)。イベントは、お父さんたちに楽しんでもらおうと毎年開かれていて、ウィルシャー大通りの北側1キロ弱が歩行者天国となり、フィアットやフェラーリー、アルファ・ロメオなど120台を超すイタリア製高級車やバイクが並んでいた。

 憧れの車を前に、“かつての少年”はタイムスリップしたみたいだ。カメラやビデオ片手に目を輝かせ、子供そっちのけで車の前でポーズを取ったり、運転席をのぞきこんだりしている。中には、アウディーやランボルギーニのように試乗可能な企業による最新モデルの展示車もあり、車に乗り込んだかと思うとハンドルを握り、皮の触り心地を確かめてうっとりするのだった。

 真っ赤な1967年製ランボルギーニ(400GT)が目に入った。車の前に上品な初老の紳士が座っていたので、話しかけたら、気さくなその人がオーナーだった。イベントの共催者ビバリーヒルズ市がインターネットで出展者を募集していたので、参加したという(出展者は、原則個人のボランティア出展)。車の値段を聞いたら150.000ドルだった。

混雑しているから、車に来場者が傷でもつけられたらどうするんだろう。各展示車には白いロープで立ち入り禁止のサインがあったのに、ロープをまたいで車に近づくファンも少なくない。「触らないで」と制止するオーナーもいたが、多くは見てみぬふり。万一、来場者に傷つけられても主催者は責任を負わないのに。さすがに、その紳士も「乳母車を押した人が車に近づいたら、車体を擦られないかハラハラするんだけどね」と肩をすぼめた。

 「なんで大切にしている車を出品するんですか」と尋ねると、「だって、今日は父の日じゃないですか。年に一度だけ、車好きのお父さんを楽しませてあげたいじゃないですか」。そう言ってガッハッハと笑った。

参加者もボランティアも車でつながるアメリカの偉大な「父の日」。「日本でこんなイベントあったらいいなぁ」と思ったが、こんな催しにボランティアで出展する大金持ちはまずいないだろう。仮にイベントを開いたところで、ゴルフ以外に趣味を持っている4、50代の男性も少なさそうだ。

そもそも、せっかくの日曜日、疲れた体を引きずって、出かけるお父さん自体そんなにいないし。日本のお父さんは疲れているもの。
 
イタリア製高級車が並んだ会場

企業が展示したエンジンに見入る来場者



2011年6月19日日曜日

下宿紹介の巻

 ロサンゼルスに住むと決めたとき、結構頭を悩ましたのが家探しだった。現地の知人から、この街は地域によってかなり危険な上、車がないと(近く免許を取る予定)日々の生活に支障をきたすと聞いていた。そのため、渡米前からインターネットで、大学のルームシェアサイトやcraiglist」(地域情報コミュニティサイト)を入念にチェックし、到着してから何件か見学の予定だった。

 けれども、1件目であっさり決めてしまった。現地の日本人サイト「びびなび Los Angeles」に「ルームシェア」という項目があり、値段や大まかな場所、家の紹介などが書いてある。それを見て、今の下宿を訪ねたところ、大家さんが私と同じ四国出身で現役の看護師さん、と心強かったのだ。

 大学へはバスで15分ほど、近くにショッピングモールがあって立地がいい。大家さんいわく、「午後8時に女性が歩いて問題なし」と治安もいいそうだ(暗がりはもう歩かないつもり→前々回の「夜の顔」参照)。その大家さんは妻が日本人、夫がポーランド人のご夫婦で、2階建ての1階に私の部屋がある。部屋の広さは10畳くらいだろうか。室内には専用のトイレとバスがあり、台所と居間は共有。家賃は電気水道ガス込みで月700ドルだ。

渡米前、現地の不動産サイトや個人的な書き込みを見ていたら、「ロサンゼルスの家賃は高く、1000ドル以下は厳しい」という書き込みを見かけた。しかし、額には裏があるようだ。ビバリーヒルズのような超高級住宅地なら話は別かもしれないが、バス・トイレが複数付いたマンションは少なくなく、ルームシェアは盛んだから、頭数で割ったら、1000ドルしない下宿は結構ある。
 こちらで知り合った留学生たち(日中韓、台湾、フランス出身)7、8人に聞いても、「大学付近でルームシェア700ドル」の相場は妥当で、中には600ドル以下のケースもあった。
 さらに、こちらでは、賃貸物件に家具付きというのは珍しくなく、今の下宿も、ベッドから、小型冷蔵庫、レンジ、ソファーまで一式そろっていて、買ったのは机のランプとパソコンのプリンターくらいのものだ。

 大家さんは「台所のもの、冷蔵庫のものは自由に使って」と気前がいい。しかも、日々日本食を作るため、冷蔵庫の中は日本そのもの。「ぽん酢しょうゆ ゆずの村 馬路村」を見たときは腰を抜かしそうだった(結構使わせてもらっていたが、つい最近、1本18ドルもしていることを知った。ごめんなさい)。さらに、酢の物や煮物を時折お裾分けしてくれ、パスタばかり食べていた日本の生活より、かなり健康的。

時折自炊していると、少し気まぐれなオス猫ブラッキーとメス猫ミミちゃんが「ミャ~オ」と猫なで声ですり寄ってくる。残念ながら、英語しか分からないのか、日本語で話しかけても視線は冷たいのだけれど。
今のところ居心地はいい。
 
米国では室内は白熱灯が一般的で、日本より暗い