「今日は天気がいいので、外へ行きましょう」。5月のある日、教室に入ってきた教授の一声で、中庭が教室に変わった。芝生の上 で車座になり、学生たちが教授を囲む。新緑の下、そよ風に揺られながら議論を交わす風景は、さながら映画のシーンだ(日焼けが気になる私に、照 りつけるカリフォルニアの太陽は酷だったが)。
授業スタイルはと にかく自由。授業形式がバラエティーに飛んでいるなら、聞き方も自由。特に飲食については自由度が高く、学生たちは四六時中、何かを口に運んでいるし、授 業中、ナッツやポテトチップスが回ってきたり、中にはハンバーガーやご飯(ライス)を食べたりしているツワモノもいるが、教授や他の学生が気に風もない。
そして、先週。“青空教室”を楽しんだこのクラス(Asian American Studies)にとって、最終授業がやってきた。教授の発案で、「ポット・ラック」と呼ばれる食事の持ち寄りパーティーが開かれることになったため、当日は欣喜雀躍して教室へ向かったが、そう甘くはなかった。
焼きうどん(のようなもの)をほおばろうとしていた矢先、教授は言った。「さ、それではみなさん、研究内容を5センテンスでまとめて発表しましょう」。食事はあくまで付け 足しに過ぎなかった。みんな口をもぐもぐさせたり、コーラを飲んだりはする。が、発表の段になると、きっちり要点をまとめて5センテンスにまとめあげるではないか。
それもそのはず。こちらの大学院生の勉強量は半端ではない。UCLAでは、クラスを登録すると、インターネットを通じ、学生ごとに「CCLE」と呼ばれる科目別リストが開設され、そこに教授からの伝言や次回までに読むべき課題図書が表示さる。
課題図書はクラスによって異なるが、別のクラスの場合、特に読書量が多く、1冊につき数ページというのもなくはなかったが、数十ページが一般的で、100ページを越す回あった。それが毎週6~7冊。読み込みをベースに授業が展開するため、毎回授業前に読んでいかなければついていけない。
授業では、とにかく発言した方が「勝ち」で、発言しなければ、いないのと同じだ。間違っていようと、見当違いであろうと、教官はひとまず受け止め、批判はしない。発言する姿勢こそが大切らしい。
ゆえに、毎回だんまりの私は透明人間のようだった。
本分さえ果たしていれば、あとは自由。それがこの大学というより、個人主義のこの国の流儀だったことをまざまざと思い出した。
ポット・ラックだけではなかった最後の授業 |
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